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名古屋高等裁判所 昭和36年(う)210号 判決 1961年10月03日

控訴人 被告人 箕浦一三

弁護人 桜井紀 外一名

検察官 町四郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人本人及び弁護人桜井紀、同大矢和徳各名義の控訴趣意書に夫々記載されているとおりであるから、ここにこれを引用するが、当裁判所はこれに対し次ぎのように判断する。

(一)大矢弁護人の控訴趣意第一点、桜井弁護人の控訴趣意第二点、被告人本人の控訴趣意二の公訴事実の不特定の各論旨について、

所論は要するに、本件起訴状によると、被告人の出国の時期は「昭和二八年九月下旬より同三三年六月下旬までの間」というのであつて、その間実に四年九ケ月もあるから訴因の特定を欠き、刑事訴訟法第二五六条第三項に違背するので本件公訴は不適法であるというにある。

原判決が肯認した本件起訴状の公訴事実は「被告人は昭和二八年九月下旬頃より同三三年六月下旬頃までの間に有効な旅券に出国の証印を受けないで中華人民共和国に出国したものである」というのであつて出国の時期として四年九ケ月の期間をもつてなされていることは所論のとおりであるが、刑事訴訟法第二五六条第三項において「公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法をもつて罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と規定した所以のものは裁判所に対し審判の対象を限定すると共に被告人に対し防禦の範囲を示し且つ既判力の及ぶ範囲を明かにして二重処罰の危険から被告人を保護しようとするにあるのであるから、裁判所の審判の対象が限定され、被告人の防禦に支障を与えず、既判力の及ぶ範囲が明かとなり二重処罰の危険がない限り起訴状における公訴事実の記載は犯罪の日時、場所、方法などをいちいち具体的に明示しなくても罪となるべき事実の特定に欠くところはないものと解すべきである。そして本件起訴状においては前記の如く被告人の出国の時期について日時が具体的には必ずしも明確にされていないが、その趣旨とするところは被告人が昭和三三年七月一三日舞鶴港に入港した白山丸に乗船して本邦に皈国した事実に対応する出国、すなわち右皈国にもつとも接着する日時における出国の事実を起訴したものと解すべきことは明であるから、本件起訴状における被告人の出国の時期に関する前記のような記載も、裁判の対象がこの程度の記載で十分に限定され、被告人の防禦にいささかも不利益を与える虞もなく且つ二重処罰の危険もないと考えられるので、本件起訴状の記載により公訴事実は訴因が明示され、罪となるべき事実の特定に欠くるところはないので論旨はいずれも採用できない。

なお被告人本人の控訴趣意二は事実誤認の主張を包含しているようであるが、原判示犯罪事実は原判決挙示の各証拠によつて優に認定し得られ、原審において取調べたすべての証拠を総合してもその認定に事実誤認の疑はない。論旨は理由がない。

(二)桜井弁護人の控訴趣意第一点、大矢弁護人の控訴趣意第二点その一、被告人本人の控訴趣意一前段の違憲の各論旨について、

所論は要するに、出入国管理令第六〇条第二項、第七一条は憲法第二二条第二項に違背し無効と解すべきであるにかかわらず、原判決が右出入国管理令の規定により被告人の原判示所為を有罪として処断したのは憲法第三一条に違反するものであるというにある。

しかしながら出入国管理令第六〇条第一項が「本邦外の地域におもむく意図をもつて出国する日本人は、有効な旅券を所持し、その者が出国する出入国港において、入国審査官からその旅券に出国の証印を受けなければならない」と定め、同第二項において「前項の日本人は旅券に出国の証印を受けなければ出国してはならない」と規定しているけれども、右法条の趣旨とするところは出国それ自体を制限しようとするものではなく、単に出国の手続に関する規整措置を定めたものに過ぎないから、このような手続規定のために事実上外国移住の自由(外国へ一時旅行する自由を含む)がある程度制限されるような結果を招来することがあつても、それは同令第一条に規定する「本邦に入国し又は本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理」を行うという公共の福祉の目的からきたやむを得ない制限であるから、同令第六〇条第二項は合憲性を有するものといわねばならない。(昭和三二年一二月二五日最高裁判所判決参照)

もつとも桜井弁護人は憲法第二二条第二項には同条第一項のような「公共の福祉に反しない限り」という制限が付されていないから、同条第二項の外国移住の自由は公共の福祉の目的によるも制限できない旨主張しているが、右外国移住の自由も絶対無制限に許されるものではなく、やはり公共の福祉のための合理的な制限には服すべきものであること憲法第一二条、第一三条に徴して疑を容れない。(昭和三三年九月一日最高裁判所判決参照)右主張もとうてい採用しがたい。

なお桜井弁護人は旅券法第一三条第一項第五号に基いて旅券を発給せずして、出入国管理令第六〇条第二項第七一条によつて旅券不所持を処罰しているが、右旅券法の規定は公共の福祉というべきなんら合理的且つ明確な基準を示していないから違憲であり、したがつてこの規定の適用を前提とする右出入国管理令の規定も合憲性を有しないと主張するが、旅券法第一三条第一項第五号は「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」と規定しているから、それは外国旅行の自由に対し公共の福祉のために明確にして合理的な制限を定めたものというべきで、合憲性を有するものと解される。(昭和三三年九月一〇日最高裁判所判決参照)したがつて右規定の違憲を前提とした桜井弁護人の右主張も採用できない。

右のように出入国管理令第六〇条第二項は合憲性を有するものであるから、同項に違反する行為の処罰規定である同令第七一条も違憲の規定でないことは明である。論旨は採用しがたい。

(三)大矢弁護人の控訴趣意第二点その二の法令違背の論旨について、所論は要するに、出入国管理令第六〇条がかりに合憲性を有し海外移住(渡航を含む)の自由もこれによつて制約を受けるとしても、その処罰は当該の移住、渡航が日本国に対し実害を及ぼす場合に限らるべきところ、本件渡航によつては国は利益を受けこそすれ、なんらの実害も受けてはいない。したがつて原判決は出入国管理令第六〇条、憲法第二二条の適用を誤つているというのである。

しかしながら出入国管理令の所期するところはさきにも触れたように同令第一条の規定する本邦に入国し又は本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理を行うことを目的としているのであるから、海外渡航の手続を無視し正当な旅券なくしてなされる出国によつて、国の企図している出入国人の出入国の公正な管理をしようとする目的の達成が阻害されることはいうまでもなく、しかもその出国者が旅券法第一三条五号の「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当するときは、右規定の虞れる事態の発生する蓋然性は相当つよくなるものといわねばならない。こうした通常予想される弊害以外に被告人の本件密出国によつてさらに具体的に如何なる実害が生じたかというようなことは出入国管理令のあずかり知るところではない。論旨はとうてい採用できない。

(四)大矢弁護人の控訴趣意第二点その四、被告人本人の控訴趣意一後段の犯罪の阻却事由に関する論旨について、

所論は要するに、被告人の中国渡航の目的は朝鮮動乱後における当時の緊迫した戦争の危機を打開し、平和を守り国際的な人民相互の協力によつて戦争を回避しようとするものであつたところ、政府はその頃中国渡航の旅券を一般的に拒否し、渡航を妨害する挙にでていたので、被告人は憲法上認められている自己の海外移住の権利や平和を守る権利を行使する方法として渡航したのであるから刑法第三五条による正当行為である。かりに正当行為でないとしても、憲法上認められている右のような自己の諸権利に対する急迫な侵害に対し、その権利を防衛するためやむことを得ざるにいでた行為であるから同法第三六条の正当防衛行為として違法性を阻却する。またかりに正当防衛でないにしても、刑法第三七条の緊急避難行為に該当するか、少くとも平和を愛好する被告人に対しては渡航以外の行為を何人も期待し得ないから被告人の所為は期待可能性なき行為として犯罪の成立を阻却するものであるのにかかわらずその法的評価を誤つた原判決は違法であるというのである。

しかしながら被告人の中国渡航の目的がたとえ所論のとおりであつたとしても、出入国管理令第六〇条第二項、第七一条や旅券法第一三条が違憲の規定でないことは前叙のとおりであるから、海外渡航の手続に関する法規を無視し旅券なくして行われた被告人の本件密出国が憲法上保障された権利の行使として違法性を阻却するものとなしがたいことは言うまでもないし、また日本政府が当時中国渡航の旅券発給を一般的に拒否していたと認むべき証拠がないから所論の正当防衛の前提としての急迫不正の侵害なるものも認めがたく、さらにまた一般通常人を被告人の立場においた場合、旅券なくして出国する以外の他の行為を期待できないとはとうてい認められないから論旨はいずれも採用できない。

(五)大矢弁護人の控訴趣意第三点の訴訟手続違背の論旨について、

所論は要するに、

(1)同弁護人は原審において出入国管理令第七一条による処罰は憲法第二二条の趣旨からみてわが国に実害を及ぼす場合に限られるものと解すべきところ、本件渡航によつてわが国は利益を得こそすれ、なんら損失を被つてはいないという主張をしたが、右主張は刑事訴訟法第三三五条第二項にあたるにもかかわらず原判決はこれについて判断を遺脱し、

(2)被告人本人は原審において、本件渡航は憲法によつて保障された正当な権利の行使である旨の供述(記録六二五丁裏以下)をしているが、右は大矢弁護人の控訴趣意第二点その四と同趣旨の、すなわち刑法第三五条ないし第三七条や、期待可能性理論による各種の犯罪成立の阻却事由の主張をする趣旨であつた疑があるのに、原審が必要な釈明を怠り、これに対する判断を示さなかつたことは審理不尽であつて、

いずれも判決に影響することの明な訴訟手続の違背であるというのである。

しかし、原審において大矢弁護人によつて所論の(1) のような主張がなされていることは記録上明であるが、右主張が刑事訴訟法第三三五条第二項の「法律上犯罪の成立を妨げる理由又は刑の加重減免の理由となる事実」に該当しないことは多言を要しないし、また被告人が原審において所論の(2) のような刑事訴訟法第三三五条第二項の主張を含むかどうか必ずしも明瞭でない供述をしていることも所論のとおりであるが、原審にこれが釈明をなすべき義務があるものと解すべきではないし、またかりに原審が同条項にあたる事実の主張についてその判断を遺脱したとしても、訴訟手続の法令違背にとどまり、判決に影響することが明でないから論旨はとうてい採用できない。

(六)大矢弁護人の控訴趣意第二点その三の公訴時効の論旨について、

所論は要するに、本件は公訴時効の完成後に起訴されたものであるから、免訴の判決がなさるべきであるにかかわらず、原判決は犯人が国外にいる場合には刑事訴訟法第二五五条第一項により、公訴時効の進行が無条件に停止されるという見解のもとに有罪の判決をしたが、これは右規定の解釈を誤つたものである。すなわち同法第二五四条第一項はその前段において「時効は当該事件についてした公訴の提起によつてその進行を停止」する旨を定め、同法第二五五条第一項において「犯人が国外にいる場合又は犯人が逃げ隠れているため、有効に起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知ができなかつた場合には、時効はその国外にいる期間又は逃げ隠れている期間その進行を停止する」と規定しているが、この両規定は有機的にことに右第二五五条第一項の前段と後段とはこれを統一して理解すべきであつて、このことは刑事訴訟法が起訴状の謄本の被告人に対する送達を公訴提起の効力を保有するための絶対的要件としていることからみても当然である。してみると、右刑事訴訟法第二五五条第一項前段の「犯人が国外にいる場合」も、その後段の「犯人が逃げ隠れている」場合も、ひとしく起訴状の謄本の送達ができないために認められた時効の停止であると解すべきであるから、右前段の「犯人が国外にいる場合」でも、時効が停止するためにはその後段の場合と同様に、起訴状の謄本の送達が可能な程度に捜査が完了していなければならない道理である。しかるに原判決が右前段の場合については、後段の場合と異り、無条件で時効が停止するものとしたのは、右条項の解釈適用を誤つたもので判決に影響することの明な法律適用の誤であるというのである。

しかしながら、刑事訴訟法第二五五条第一項は、まず少くとも文理上においては、その前段の「犯人が外国にいる場合」と、後段の「犯人が逃げ隠れている場合」とを区別し、前段の場合には、後段の場合のような「有効に起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知ができなかつた」ことを時効停止の要件としていないことは明である。換言すれば、右の後段の場合には公訴の提起がその前提要件とされているのに対し、前段の場合にはこのような前提要件が必要とはされていない。これをさらに、実質的に考察してみても、「犯人が国外にいる場合」と犯人が国内にいて「逃げ隠れている場合とでは、捜査、訴追の面からは本質的に事情を異にするものがある。犯人が国内にとどまるかぎりいかに逃げ隠れていても、その捜査、訴追の困難さには自ら限度があるけれども、犯人が国外にいる場合には、その犯行が国外で行われた場合はもとより、犯行が国内で行われ犯人が国外へ逃亡した場合や、本件にみるような犯行が国外にでることによつて行われ犯人がひき続き国外にとどまる場合でも、捜査、訴追に異常な困難さが伴うことは否定できない。けだし犯人が国外にいる場合には、わが刑事訴訟法が外国には適用されないことその他のいろいろな法的制約や、地理的条件等の実際的理由と相俟つて、犯罪を覚知するにも、捜査の端緒をつかむにも、犯人を追及して傍証をかためるにもほとんど超えがたい困難さに直面することが少くないからである。もちろん、公訴時効は日時の経過にともなう犯罪の社会的影響の微弱化というような実体的理由と、日時の経過による証拠の散逸という訴訟法的理由との双方から認められた制度ではあるが、時効の要件をどうきめるか、時効の完成を妨げる事由をいかにするか、ということは立法政策の問題であるから、「犯人が国外にいる場合」と、犯人が国内にいて「逃げ隠れている場合」とでは、捜査、訴追の難易に右のような本質的な違いがあることに重点をおいて考えるならば、「犯人が国外にいる場合」には、公訴提起を前提要件とせず、無条件に、すなわち犯人が国外にいるということだけでその期間時効の進行を停止することにする方が捜査及び訴追の適正をはかる所以であるようにも解される。かようにみてくると、文理上はもとより、実質的考察の上からも、右の刑事訴訟法第二五五条第一項の前段と後段とは、その立法理由を異にしているものと解すべきであるから、所論のような意味あいにおける同条項の統一的解釈をしなければならない理由はこれを首肯しがたい。論旨は採用できない。

よつて本件控訴はその理由がないので刑事訴訟法第三九六条に則りこれを棄却すべきものとし主文のとおり判決する。

(裁判長判事 小林登一 判事 成田薫 判事 布谷憲治)

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